一匹狼というと人間の世界では「集団に属さず、独自の立場で行動する人」と辞書に記載されているとおりどちらかというとカッコよくて孤高なイメージがある。そう、イチローのような。だが、動物の世界ではあまりいいとはいえない。

 オオカミは、群れをつくって行動する習慣がある。当然、群れの中には雄と雌がいて、雄オオカミは一匹の雌オオカミをめぐり、争いあう。
 闘いに敗れた雄オオカミは、その後群れを離れ一匹狼として行動する。その後の行動といったら、まるで未練がましく群れの後を追って山中をさまよい、一人孤独に遠吠えする ―――――――

 私の知る限りはここまでであって、その後一匹狼はどうやって生きていくのか知らない。

 人間誰しも本能だけでは生きていないから、無論一概にそのまま人の世界でもこれにあてはまるとは言えない・・・。 だが、人間界でもこれに類似した経験を若さゆえにしたことがあるという人はおそらく数多くいるのではないだろうか。
 「わたしはものじゃないの!」という叫び声が女性から聞こえてきそうだが、生物学的にはオオカミでもカブトムシでも雄は闘い争いあい勝利したほうだけが雌との交尾を許される。
 何度もいうが、人間には知性・倫理・道徳・・・などがあり本能だけでは生きていない。人は相手を尊重する能力をもっているのだから。

 一匹狼は、もう二度と群れの中で生活できないのだろうか。このままはぐれ狼は、はぐれ狼のまま生きていくのだろうか。
 いや、そんなことはない。絶対にそうであってはならない。
 負けたことがある一匹狼は、やがて必ず巡りあう。一人涙した過去に迷い、さまよいながら生きていく中でいつか必ず巡りあう。負けたことがあるという事、悔しくて悔しくて枕を濡らした数々の夜を忘れずにいれば。

 人によっては「それなら身を引くよ」という人もいるだろう。闘わない人を批判する気はまったくない。それがその人の優しさである場合もあるだろうし、「幸せになるならみんなで幸せになろうよ」人を傷つけてまで自分が幸せになろうとは思わないと考える心の優しい人もたくさんいるのだから。

 話は変わるが日本人は、どうしても誰かを踏み台にして前へ進もうとする傾向がある。金持ちの人をねたみうらやみどこか一歩距離をおいた眼差しで皮肉を言う。自分でしたことは、人から人へ巡り巡って必ず自分のもとに戻ってくる。
 その点、アメリカ人には、ウィズアップ(with up)の精神がある。成功してアメリカンドリームを手にした人の元へは人が群がり、その人から何かを学ぼうとするウィズアップ精神がある。

 一匹狼は、一人孤独に耐え山中をさまよい、また一回り大きくなって必ず希望を見つける。これは、神様が与えてくれた試練以外他のなにものでもない。

 何事も一度、負けてからなのである。

 こんな豊かな現代の日本で生をうけた。平和ボケして若者が何を信じて生きていけばいいかわからないっていう時代でも、チャンスは街にあふれている。