その日は、夕方から大事な打ち合わせを予定しており終日その準備に追われていた。 どのくらい揺れたのだろう、本気で10階のビル、そして周りの超高層ビルが倒れるのではないかと思った程だった。 真っ先に震源地をPCで調べる…故郷だった。あまりの揺れにとっさに両親に連絡を試みたがつながらず、その間10秒ほど。

 

その後、映画のように首都は大混乱…

 

 

それから5日後、未だに気が重い… メディアから流れる映像に言葉を失いショックを受けた夜を4日越してはみたが、とてもじゃないがまともな精神状態ではない自分がいる。

何度も気分転換を試みるが、元に戻っての繰り返し…

きっと日本中のひとが同じ心境なのだろう…

生まれ育った馴染みのある地が跡形もなくまるで戦後の焼け野原のようになった映像は脳裏から離れない…

遠く関東からできることは限られていて、結局何もできない自分との心の葛藤に明け暮れる日々…

これを機にみんなで再建しようという前向きな言葉にも反応できない…

 

世界中から応援のメッセージ。

胸を打たれる。

 

心の整理はまだまだつかないが、こうして生きながらえさせてもらった命。

自分のできることや得意分野で、できることをするしかない。

 

そして、亡くなった人の分まで光り輝やく命を全うすること。

 

2011.3.11 この日を忘れない