Category: Column

go on

 学生時代の同級生がまたひとり結婚するしないの選択に迫られているらしい。俺の友人関係の中では第二次結婚ラッシュ。

 また、知人が大きな事故にあい、生死をさまよったらしい。

 情報が嵐のようにせまりくる。

 人はひとりで生きていないから、周りのそんな報告を受けると当然、自分の身に置き換えて考えさせられる。

 何で結婚するんだろう。愛する人とずっと一緒にいたいがため、経済的な理由のため、世間体のため、安定した暮らしをしたいがため・・・・・
 でも、昔と比べると結婚のメリットって実はすごくなくなってきている。社会のシステムがシングルであることを受け入れている。だから、晩婚化やシングルマザーなどが増えているんだろうな。

 非日常的な事にはリスクが伴って、人はそのリスクを忘れてしまいがちだな。

 
 
 自分で書いたブログを時々読み返してみる時がある。

 うわ~なんじゃこのヘンテコな文章は!うぇ、なんてクサイこと書いてんだ、俺は・・・って思うときもあれば、お!いいこと言ってんな~、Oh ! fantastic . よく書けたなこんな文章って思うこともある。
 考えや思ったことって何日も寝かせてから最終的に決断した方がいい場合が多い。そのほうが、客観的に冷静にものごとを見ることができるから。
 でも、今書いている文章はあとさき考えずそのとき思ったことをなるべく飾らないで書いておきたいと思うこともある。後で読み返したとき、ありのままの姿がみえるから。ブログに掲載する事によって全世界から閲覧可能なわけで、たまに穴を掘って隠れてしまいたいほど恥ずかしくなる時もあるが、旅なんかして広大な台地や空や星を眺めていると「ほんとちっぽけでありんこのようなことだな、俺の身のまわりに起きてる事なんて」って思うからどうでもよくなる。

 結婚という転機を迎え決断する人々。
 Oh amazing ! What a wonderful world.
 起きた事象に一喜一憂するのもいい。でも、日々は続いていく。まぎれもないこのリアルは淡々と時を刻んでいく。小説よりも奇なことが起きるリアルで、戻らない時の中、大いに活躍したい。だから、これからどんなことが起きてもそれに目を背けず受け入れ、自らそのリアルを切り開いていきたいと思う。

 この荒んだしがらみを抱えた世、でもそういう厳しさの中でしか喜びや優しさは得られない。
 

自然 癒し 創造

 仕事柄、平日は常にデジタルなものにつきっきりで、時折狂いそうになる。
 学生時代に比べると字を書く機会は激減し、俗にいうITボケでもある。だから、週末はなるべくデジタルから開放されるよう心がけ、天気の良い日は癒しを求め、圧迫された閉息感のある街から都会のオアシスへ逃げ込む。

 昨日は、ふと思い立ち近所の石神井公園へ行くことにした。
 近くにありすぎて、こんなすばらしいところを忘れていた。

 広場ではバーベキューをして仲間とはしゃぐ若者、ベンチではイチャイチャしている(笑)恋人達、一人何かと闘っているように黙々とジョギングするおじさん、品のある喋り方で挨拶をかわすおば様たち、釣れないとわかっていても糸をたらしタバコをくわえ子供に釣りを説教するオッサン、誰かを想いながら弾いているかのようにせつなく響くバイオリニストの音、そして疲れ果てやつれた形相でトボトボ歩く孤独な一匹狼・・・・・

 ~本は人に教え、自然は人を造る~

 という。

 ♪育ってきた環境が違うから♪すれ違いはしょうがない♪妥協してみたり多くを求めたりするのね♪
 ~セロリ by 山崎まさよし~
 
 自分と違う環境で育ってきた人の感性や思考を受け入れ、自分の故郷に誇りを持ち、少しずつ少しずつギャップを埋めていこう。
 人は、一人になって自分を見つめる時間が必要である。自分以外の誰かといい関係を保っていくためにも、人生を切り開くにもいつも大事な決断する時は旅や公園で一人たたずむ。

 これからも何度でもまたここを訪れたい。いやいや癒しがほしいのねん。

 そして、今日もまた画面とにらめっこ。ふぅ~

一匹狼

 一匹狼というと人間の世界では「集団に属さず、独自の立場で行動する人」と辞書に記載されているとおりどちらかというとカッコよくて孤高なイメージがある。そう、イチローのような。だが、動物の世界ではあまりいいとはいえない。

 オオカミは、群れをつくって行動する習慣がある。当然、群れの中には雄と雌がいて、雄オオカミは一匹の雌オオカミをめぐり、争いあう。
 闘いに敗れた雄オオカミは、その後群れを離れ一匹狼として行動する。その後の行動といったら、まるで未練がましく群れの後を追って山中をさまよい、一人孤独に遠吠えする ―――――――

 私の知る限りはここまでであって、その後一匹狼はどうやって生きていくのか知らない。

 人間誰しも本能だけでは生きていないから、無論一概にそのまま人の世界でもこれにあてはまるとは言えない・・・。 だが、人間界でもこれに類似した経験を若さゆえにしたことがあるという人はおそらく数多くいるのではないだろうか。
 「わたしはものじゃないの!」という叫び声が女性から聞こえてきそうだが、生物学的にはオオカミでもカブトムシでも雄は闘い争いあい勝利したほうだけが雌との交尾を許される。
 何度もいうが、人間には知性・倫理・道徳・・・などがあり本能だけでは生きていない。人は相手を尊重する能力をもっているのだから。

 一匹狼は、もう二度と群れの中で生活できないのだろうか。このままはぐれ狼は、はぐれ狼のまま生きていくのだろうか。
 いや、そんなことはない。絶対にそうであってはならない。
 負けたことがある一匹狼は、やがて必ず巡りあう。一人涙した過去に迷い、さまよいながら生きていく中でいつか必ず巡りあう。負けたことがあるという事、悔しくて悔しくて枕を濡らした数々の夜を忘れずにいれば。

 人によっては「それなら身を引くよ」という人もいるだろう。闘わない人を批判する気はまったくない。それがその人の優しさである場合もあるだろうし、「幸せになるならみんなで幸せになろうよ」人を傷つけてまで自分が幸せになろうとは思わないと考える心の優しい人もたくさんいるのだから。

 話は変わるが日本人は、どうしても誰かを踏み台にして前へ進もうとする傾向がある。金持ちの人をねたみうらやみどこか一歩距離をおいた眼差しで皮肉を言う。自分でしたことは、人から人へ巡り巡って必ず自分のもとに戻ってくる。
 その点、アメリカ人には、ウィズアップ(with up)の精神がある。成功してアメリカンドリームを手にした人の元へは人が群がり、その人から何かを学ぼうとするウィズアップ精神がある。

 一匹狼は、一人孤独に耐え山中をさまよい、また一回り大きくなって必ず希望を見つける。これは、神様が与えてくれた試練以外他のなにものでもない。

 何事も一度、負けてからなのである。

 こんな豊かな現代の日本で生をうけた。平和ボケして若者が何を信じて生きていけばいいかわからないっていう時代でも、チャンスは街にあふれている。