それからどれくらい歩いたんだろう。半ば放心状態のまま、ただ脚だけが動いている。
 外はJR札幌駅南口、ヒンヤリとした空気が体を軽くした。脳裏には5・6年も前の情景・記憶が蘇生している。道行く人は、東京に比べどこか透きとおった瞳をしていて濁りがない。かといって純粋に見えるかといえばなにか違うような気もするが、顔から幸が溢れている。久しぶりに訪れた場所だからそう見えたのか、本当にそうなのかはわからないが、少なくとも街を漂う空気が透きとおっている。土曜の夜も手伝って街には若者達があふれ、エネルギーを放出している。東京と同じようにひとり言をいいながら今にも発狂しそうな中年男性もいたがどこか顔に幸がある。

 自然が人を創造している。

 こう言ったら道民の人々からお叱りをうけるかもしれないが、本州(内地)で生まれた私からすれば、北海道ってほんとに不思議なところだ。とくに道東は独特の雰囲気がある。気候や大地がそうさせているのかもしれないが、ほんとに神秘的だ。わたしは、そこで多感な19~22までの4年間過ごした。
 道央から道東、本州から道東、ただ移動するだけで人間性や人格がいつのまにか変わっている。どう表現したらいいんだろう。「何言ってんだかあやしい奴」と思われてもしょうがないが、そう感じている人または無意識に変わっている自分がいることを自覚しているひとは、まぎれもなくこのリアルに存在する。感じてることはリアルそのものだ。

 道央や道東には云わずと知れた少数民族アイヌ・コタンの人々が今もなお、その知恵を受け継いで生活している。そのなかのある人の言葉である。

 「人間の義務はね、万物の霊長としてすべての生き物のために祈ることなんだよ。それが、天と地の間に垂直に立つことのできる人間の役目だ。祈り、すべての生命の魂を天に送ることが人間の義務なんだ。神はそのために人間を守ってくれるんだよ。」
 
 戦後、高度経済成長を終え、バブルは崩壊し、平成の大不況、2005年現在景気は回復傾向といわれている。日本には物が溢れ、国は莫大な借金を抱えている。少子化の波は止められず、国の人口は初めてはっきりと数字にあらわれ減少している。人類の歴史の中で人口が減って文明が進化した歴史は未だかつて一度もない。
 これからは、心の時代が到来するといわれる。天と地、自然を感じ祈る。人間も自然の中の一部なんだ。確かなものなんてない。でも、こうして泣いたり笑ったりして生きている。天と地、自然を意識し魂を込める。遥かなる広大な台地の上でそんなことを考えていると、泣けてくる。何かを思い出したわけでもなく、悲しいわけでもないのに、ただ泣けてくる。
 
 周りは、信号待ちで溢れかえる若者達。真夏にしては、涼しい風がひと吹き交差点をひた走る。見上げると光り輝く小さな満月が、泣いている。