昨晩、大学時代の友人の訃報が届く 享年27歳 ―――――――――――――――――――――
昨日の今日で、私自身まともな精神状態ではなく、まともに文章を書ける自信はないが、今この瞬間に感じてることをありのままの言葉にして残しておこうという衝動にかられた。なぜ、そういう衝動にかられたのか、その真意は・・・・・
彼女は、素直で明るく気立ての良い感性豊かな人だった。彼女はその場に花を咲かせるような存在で華のある人だった。「佳人薄命」とはまさに・・・まったくどうして。
感情と臓器にはおおいに関係があるという。東洋医学では下記に記してあることはが、もはや常識だ。
■怒りの波動は肝臓の波動と共鳴関係にあって、怒りの感情が激しい人は肝臓に毒素を溜めやすくなり、肝臓の免疫力が落ちて病気にかかりやすくなる。
■「素問(そもん)」という中国の医学の教科書より
過度の怒りは肝臓を傷つける
過度の喜びは心臓を傷つける
過度の思慮は脾臓を傷つける
過度の悲しみは肺臓を傷つける
過度の恐れは腎臓を傷をつける
二年程前、私は肺の病気を患った。恥ずかしながら確かに、悲しみに心あたりがないわけではなかった。そして、今でも時々痛む。胸が締め付けられるように。最近は特にこれといった悲しいことはなかったと思うが。いや悲しいかどうかさえもよくわかっていない。潜在意識の中で悲しんでいるのだろうか。
一ヶ月前、彼女は私のサイトを訪れてくれた。~年ぶりに某SNSサイトでみごと再会を果たしたばかりだった。持ち前の明るさと笑いのセンスで、仕事漬けでやつれていた私を心の底から笑わせてくれた。
そして、このサイトのBBSに足跡を残していった。「久しぶり!これからもよろしく!」という挨拶をすませ、私が「こちらこそこれからもよろしく」というメッセージを返してからその後、連絡は途絶えた。これはいわば、彼女が入院する直前、僕らに向けられた彼女からのメッセージ、生きた証だったのだ。
人の死亡率は100%。僕らはいったいこの世に何を残せるのだろうか。彼女の死から何を感じ、学ぶことができるのだろうか。若くしてこの世を去った彼女は、何を思って死んでいったのだろうか。幸せな27年間だったのだろうか。永遠に謎だ。
僕らは、彼女に何をしてあげられるのだろうか。いや、そんなものはありもしない。
でも、彼女の分まで精一杯生きて、彼女が生きていたという証人なることが、僕らにあたえられた使命だ。肉体は空へと消えていったが、魂は僕らの中に宿る。永遠に。
この現実を受け入れるのには、いささか時間がかかる。まだ夢の中だから。
今夜は、一段と冷えている。こんなときに限ってトラブルが起こっていつもより少し遅い仕事の帰り際、ふと見上げるとビルの狭間から月が見えた。空気が澄んでいてきれいだった。東京から見える月も悪くない。でも札幌から見える月はもっときれいなんだろな。
星になった少女もきっと同じ月を見ている。
Leave a Reply