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衝動的行動 ~ 一心不乱 ~ その一

「お前、気は承知か!?大丈夫か?良い精神科医紹介しようか? 」
 って思われるような行動をしてみた・・・・・。たまにはそんな無意味で無謀で無駄なことをするのがやけに新鮮に感じられ思い立った。そんな無意味な事にこそいままで気付いてなかった発見があるんじゃないか、そんな思考のトリックにかかった。アー意味わかんねー、うまく伝わんねーだろうなたぶん。
 
 毎日毎日、ITな仕事つまり理屈や理論ばっかり(左脳)に頭をつかってると、なんてつまらない世界なんだろうって思う。もちろん生活していくには必要な訳だけど。だから、音楽なんかを聞いて想像力をかきたてる。ボーっと寝そべって音楽を聴きながら考え事をする。

 誰かの呼ぶ声がする。胸騒ぎがする。また誰かの呼ぶ声がする、今度は叫び声にも近い声。誰かが僕にテレパシーを送っている。そしてまたテレパシーを受信する。

 人間は太古の昔、テレパシーを使えたという。進化していく過程で言葉を使うようになりテレパシーする能力はその必要性をなくしたのだ。現在でも動物の中にはまだその能力を持っている動物もいるだろう。
 でも人間は、時々思い出す。その能力を。

 
 気が付くと、羽田空港第2ターミナルビル。ただ、呼ぶ声につられ脚が動く。空港は土曜の昼間だっていうのに足早に歩く人の声がかすかに聞こえるだけで、やけに静かだ。

 おいおい、札幌まで当日チケット買っていくらかかると思ってんだ。タケ―ぞ!はやく正気になって都内に戻ってジムにでも行こうぜ。理屈っぽい自分が語りかける。
 それとは裏腹に、今日何度目だろうテレパシーが届く。そして、受信したテレパシーは感情へと形を変えた。言葉にならないこの想いは何のためあるの?胸の奥にあったしこりが顔をだす。なんでこんな感情が存在するの?もう残ってたってしょうがないじゃない。意味ないよ。誰かがいってた言葉が駆け巡る、種の保存のための本能なの?種を保存できないDNAの叫びが声を荒げている。

 理屈っぽい自分と種の保存のためのDNAの闘いはDNAが勝り、昼過ぎから続いた死闘は一旦幕を閉じ、7月30日(土)20時過ぎ肉体を新千歳空港へと運ばせた。

衝動的行動 ~ 一心不乱 ~ その二

 それからどれくらい歩いたんだろう。半ば放心状態のまま、ただ脚だけが動いている。
 外はJR札幌駅南口、ヒンヤリとした空気が体を軽くした。脳裏には5・6年も前の情景・記憶が蘇生している。道行く人は、東京に比べどこか透きとおった瞳をしていて濁りがない。かといって純粋に見えるかといえばなにか違うような気もするが、顔から幸が溢れている。久しぶりに訪れた場所だからそう見えたのか、本当にそうなのかはわからないが、少なくとも街を漂う空気が透きとおっている。土曜の夜も手伝って街には若者達があふれ、エネルギーを放出している。東京と同じようにひとり言をいいながら今にも発狂しそうな中年男性もいたがどこか顔に幸がある。

 自然が人を創造している。

 こう言ったら道民の人々からお叱りをうけるかもしれないが、本州(内地)で生まれた私からすれば、北海道ってほんとに不思議なところだ。とくに道東は独特の雰囲気がある。気候や大地がそうさせているのかもしれないが、ほんとに神秘的だ。わたしは、そこで多感な19~22までの4年間過ごした。
 道央から道東、本州から道東、ただ移動するだけで人間性や人格がいつのまにか変わっている。どう表現したらいいんだろう。「何言ってんだかあやしい奴」と思われてもしょうがないが、そう感じている人または無意識に変わっている自分がいることを自覚しているひとは、まぎれもなくこのリアルに存在する。感じてることはリアルそのものだ。

 道央や道東には云わずと知れた少数民族アイヌ・コタンの人々が今もなお、その知恵を受け継いで生活している。そのなかのある人の言葉である。

 「人間の義務はね、万物の霊長としてすべての生き物のために祈ることなんだよ。それが、天と地の間に垂直に立つことのできる人間の役目だ。祈り、すべての生命の魂を天に送ることが人間の義務なんだ。神はそのために人間を守ってくれるんだよ。」
 
 戦後、高度経済成長を終え、バブルは崩壊し、平成の大不況、2005年現在景気は回復傾向といわれている。日本には物が溢れ、国は莫大な借金を抱えている。少子化の波は止められず、国の人口は初めてはっきりと数字にあらわれ減少している。人類の歴史の中で人口が減って文明が進化した歴史は未だかつて一度もない。
 これからは、心の時代が到来するといわれる。天と地、自然を感じ祈る。人間も自然の中の一部なんだ。確かなものなんてない。でも、こうして泣いたり笑ったりして生きている。天と地、自然を意識し魂を込める。遥かなる広大な台地の上でそんなことを考えていると、泣けてくる。何かを思い出したわけでもなく、悲しいわけでもないのに、ただ泣けてくる。
 
 周りは、信号待ちで溢れかえる若者達。真夏にしては、涼しい風がひと吹き交差点をひた走る。見上げると光り輝く小さな満月が、泣いている。

生きた証

 昨晩、大学時代の友人の訃報が届く 享年27歳 ―――――――――――――――――――――

 昨日の今日で、私自身まともな精神状態ではなく、まともに文章を書ける自信はないが、今この瞬間に感じてることをありのままの言葉にして残しておこうという衝動にかられた。なぜ、そういう衝動にかられたのか、その真意は・・・・・

 彼女は、素直で明るく気立ての良い感性豊かな人だった。彼女はその場に花を咲かせるような存在で華のある人だった。「佳人薄命」とはまさに・・・まったくどうして。

 感情と臓器にはおおいに関係があるという。東洋医学では下記に記してあることはが、もはや常識だ。

■怒りの波動は肝臓の波動と共鳴関係にあって、怒りの感情が激しい人は肝臓に毒素を溜めやすくなり、肝臓の免疫力が落ちて病気にかかりやすくなる。

■「素問(そもん)」という中国の医学の教科書より
 過度の怒りは肝臓を傷つける
 過度の喜びは心臓を傷つける
 過度の思慮は脾臓を傷つける
 過度の悲しみは肺臓を傷つける
 過度の恐れは腎臓を傷をつける

 二年程前、私は肺の病気を患った。恥ずかしながら確かに、悲しみに心あたりがないわけではなかった。そして、今でも時々痛む。胸が締め付けられるように。最近は特にこれといった悲しいことはなかったと思うが。いや悲しいかどうかさえもよくわかっていない。潜在意識の中で悲しんでいるのだろうか。

 一ヶ月前、彼女は私のサイトを訪れてくれた。~年ぶりに某SNSサイトでみごと再会を果たしたばかりだった。持ち前の明るさと笑いのセンスで、仕事漬けでやつれていた私を心の底から笑わせてくれた。
 そして、このサイトのBBSに足跡を残していった。「久しぶり!これからもよろしく!」という挨拶をすませ、私が「こちらこそこれからもよろしく」というメッセージを返してからその後、連絡は途絶えた。これはいわば、彼女が入院する直前、僕らに向けられた彼女からのメッセージ、生きた証だったのだ。

 人の死亡率は100%。僕らはいったいこの世に何を残せるのだろうか。彼女の死から何を感じ、学ぶことができるのだろうか。若くしてこの世を去った彼女は、何を思って死んでいったのだろうか。幸せな27年間だったのだろうか。永遠に謎だ。

 僕らは、彼女に何をしてあげられるのだろうか。いや、そんなものはありもしない。
 でも、彼女の分まで精一杯生きて、彼女が生きていたという証人なることが、僕らにあたえられた使命だ。肉体は空へと消えていったが、魂は僕らの中に宿る。永遠に。

 この現実を受け入れるのには、いささか時間がかかる。まだ夢の中だから。

 今夜は、一段と冷えている。こんなときに限ってトラブルが起こっていつもより少し遅い仕事の帰り際、ふと見上げるとビルの狭間から月が見えた。空気が澄んでいてきれいだった。東京から見える月も悪くない。でも札幌から見える月はもっときれいなんだろな。
 星になった少女もきっと同じ月を見ている。